まるで人の知能をコンピュター上でシミュレーションさせて人工知能というものが誕生したかのような誤解を抱きがちだ。
また、人工知能が人の能力を超えるという予測もそれに拍車を掛けている。だがコンピュータの記憶能力や計算能力は誕生してすぐに一面ではヒトを凌駕していた。でなきゃコンピュータなんぞ作らない。世界最初のコンピュータENIACは面倒なミサイルの弾道計算をするために作られたのだから。
ヒトの知能の何たるかが分かっていないのだからそれをコンピュータでプログラミングすることはできない。過去も未来も機械(コンピュータ)は指示されたことしかできない。ただその指示を一次的でなく、二次的、三次的な指示とすることは可能である。「大量の資料の中からある傾向を見つけて、得られた傾向から別の資料を分析せよ」とかだ。
我々が人工知能に抱く勝手な誤解をAI研究者達はそのままにしておく。誤解や期待が研究費用を生み出してくれるのだから「誤解も方便」である。そしてそれは繰り返されるAIブームのたびに行われてきたのであろう。なにしろ大衆が勝手に誤解しているのだから、あえてその誤解を解いてやる必要は無いわけだ。良心の痛みも少ない。
とここまで書いてきて少し弱気になる。ヒトの知能というものが幻想では無いと望む。我々は思うゆえにここにいるのだと思いたい。