IBMとレッドハットは混ざらない

IBMといえば、ハードではメインフレームとPower。ソフトだとDB2とWebSphere。どれも安定して商売できるが将来の成長はぜんぜん見込めない。

Redhatはコンテナ時代の成長を目指してVMwareとのKubernetesをめぐる競争の真っ最中だ。Kubernetesの開発者を取り込んだVMwareの方が旗色が良さそうだ。

IBMとRedhatの二社にシナジー効果があるとは思えない。IBMのメインフレームにRedhatを乗せるくらいだろう。

それでも時代はコンテナだ。IBMのミドルウェアとRedhatLinuxで企業向けコンテナプラットホームの王座を掛けてVMwareと勝負するしかない。

ジェットコースターに顔認証で乗りたい

顔認証はプライバシーや監視カメラの問題とセットで論じられる。監視カメラに顔認証を組み込めば特定の個人がいつどこで何をやっていたのか他人に把握されてしまうという問題だ。

人は社会的な動物だから必ず人の目を気にする。監視カメラであっても同じであり気になる。まして自分を把握している(顔認証)となると少し不安も感じるのは当然だ。

私は地域のゴミ捨て場の当番をすることがある。中にはひどい人もいて、カンやビンのゴミ捨て場にも関わらず、包丁や扇風機、鉄板を捨てられている時もある。包丁など私のような当番の人間やゴミ回収の業者がケガをする可能性がある危険な行為である。監視カメラがあって顔認証しないと捨てられない仕組みだったら発生していないはずだ。

まっとうに生きている人にとって顔認証と監視カメラは人のモラルと治安の向上という多勢へのメリットの方が多い。まさにおてんとうさまに恥じることがない生き方と言っても良い。

日本ではモラルと治安の低下という差し迫った現実的な問題がプライバシーやビッグブラザーへの警戒といった抽象的な問題を脇へどけて、顔認証の採用が進んでいくと思う。

サンマイクロシステムズのロゴはカッコいい

サン・マイクロシステムズのスローガン「The Network is The Computer」は先進的だった。先進的すぎて当時は意味が全くわからなかった。「ネットワークはコンピュータ」って意味不明だった。逆立ちしたってネットワークはコンピュータにはならない。いつまでたっても針金だワイヤーだと思っていた。

でもそうではなかった。このスローガンは正しかった。クラウドの登場を予見していたのだ。スタンドアロンではなくネットワークで連携して処理するという行為、それ自体が巨大なコンピューティングであると言いたかったのだ。素晴らしい先見性である。ただ、それがサン・マイクロの商売には結びついていそうになかった。

Javaを開発して多くの支持を集めてもそれで商売することはしなかった。創業者自身にハッカー的な気質があり金儲けよりもコミュニティの評価を重んじているようにも見えた。それもあってサン・マイクロシステムズは好きだったし、何よりそのロゴや配色のセンスの良さはずば抜けていた。

ネクストは言わずとしれたジョブスが作ったワークステーションの会社だ。NextStepというOSがやがてMacOSやiPhoneに受け継がれていった。このロゴをデザインしたポール・ランドは他にIBMやUPSのロゴもデザインしている大物である。

シリコングラフィックはその名の通りコンピュータグラフィックが得意なワークステーションを製造していた。ハリウッド映画のCGの制作に使われていたし、初代ジュラシックパークでは映画の中にシリコングラフィックが登場している。

よく考えたらこの3つのロゴはすべてUNIX系のワークステーションメーカーのものである。ワークステーションというのはロゴに気を使うようなブランド品のような性質があったということだろう。

この世界はシミュレーション?

世界がシミュレーションなのか、そうでないのか はその構成要素である我々には証明も反証もできない。

なら考えてムダだよね。

世界がプログラムだったとしたらどのような言語で記述してあるのか? 答えはPerlだというハッカーのジョークがある。

プログラマが神様に「世界を記述するのに何を使われたのですか? LISPですか?」と聞く。

神様は「Perlだ(最近だとPython)」と答える。

神様はLISPという高尚で難解な言語ではなく、Perlのような野暮ったいが実用的な言語を使っているというところが笑える点だ。

そしてこの世界がコンピューターシミュレーションだったなら、開発者(神)が「隠しメッセージ」を残していてもおかしくはないというアィディアがある。天文学者カール・セーガンの小説「コンタクト」では無限に続く円周率のはるか先に開発者からのメッセージが仕込まれている。

科学は占星術から起こった。天体の観測が科学的な考え方につながり、中世の迷信を打ち破った。「カッコウはコンピュータに卵を産む」という初期のハッカー事件を扱った小説の作者も天文学者である。

空を見上げて観察するというのは科学の発展には有益なのだ。

そこには規則があり、物理法則がある。それを発見することで「この世はでたらめではない」ことが分かり科学の発展が進んだ。そしてこの物理法則は「宇宙のどこでも成り立つ」ことが分かっている。当たり前のようだが、実はそれ自体が驚くべきことだ。カール・セーガンは著書「スコスモス」で「物理法則がどこでも成り立つとは限らない宇宙もあり得たのに、この世界はそうはなっていない」という素直な驚きを我々に教えてくれた。

まさに物理法則が宇宙のどこでも成り立つという原理(等価原理という)こそが神様からの隠しメッセージとも思える。実際に我々はそのメッセージによって科学を発展さてきた。迷信と専制を打ち破り、平均寿命を伸ばし、宇宙にロケットを飛ばすようになったのだから。

目標管理は難しい。じっと手を見る

目標管理のような評価制度は難しい。誰も満足はしない。

人は自分を客観視できない。だから自分の評価は気づかないうちに甘くなる。そしてそれが上司の評価との間のギャップを生む。

上司も部下をまともに評価することはできない。細かい仕事など把握していないからだなので目にとまりやすい目立った働きが評価され、人知れず会社のために、みんなのために頑張ったとしても、それは評価には結びつかない。

だから社内営業が大切となる。頑張ったら、頑張ったことを知ってもらうよう努力しなければならない。

誰もいない森の奥深くの、さらに奥の奥の秘境で大きな木が倒れた。はたしてその木が倒れた音は鳴ったといえるだろうか? 

この世で誰も聞いていなかったのならその音は鳴っていなかったも同じだという話がある。

それでも人知れず頑張らなければいけない時もある。その時は自分で自分を慰めてあげよう。他人に求めてはいけない。自分が自分を褒めてあげるのだ。

自分はかっこいいヒーローだったと。自己満で前に進むのだ。進まないより百倍マシだ。


インフラエンジニアにコードは不要?

クラウド、コンテナ、VM。インフラの仮想化、抽象化の速度は加速する。

抽象化されるとコード化と相性がよくなり、インフラもコードになる。コードになればコーディングルール、ソース管理、設計書とアプリと同じスキルが求められる。

ならアプリのコードにまで片足を突っ込んでバックエンドとかアプリ基盤と言われる領域まで進むと重宝がられる。重宝がられると収入も上がる。

ワークライフバランスはアンバランス

ITエンジニアにとってワークライフバランスは案件が無いときしか守られない蜃気楼のようなモノだと思う

言うはやすく。行うは難し。

そして 少年老いやすく 学なりがたし とも。仕事ばっかしてて気付いたら中年太りになってた。

そして、性能テストは予想される単位時間あたりの最大処理量を流してみて、処理時間が妥当か、リソース使用量は妥当かを確認するテスト。障害テストはシステム構成要素の一つ一つで障害が発生したと仮定して擬似的に障害を発生させて継続動作するのか、どのようなエラー画面が出るのか確認するテスト。

と自分は思っているが、人によってバラつきがあってまだまだサイエンスというよりアートの分野に近い。少しずつでもサイエンスに近づける必要がある。


マイクロソフトは何の会社でしょう?

実際、なげやりな社名だと思う。

創業時にマイクロコンピュータ向けのソフトウェアから作っていたことから名付けたらしい。マイクロコンピュータとは略して「マイコン」。パソコンの昔の呼び方である。パソコンのソフトを作っている会社の社名が「パーソナルソフトウェア」というようなものである。「パソフト」でもいいが・・・。はたまたWeb系開発している会社なら「Webソフト」というような面白くもなんとも無いまるでダミー会社のような社名である。

創業者のビル・ゲイツとポール・アレンがアルテアというマイコン用のBASICを開発して、アルテアの製造会社MITSと契約を交わしたのがマイクロソフトの誕生だった。Wikipediaによると「マイクロソフト」とは二人のチーム名のようなものだったらしい。ゲイツかアレンの片方の名前だけにすると後で揉めるし、会社組織でもないからそれっぽい名前をひねり出したに過ぎないと思われる。

まさかこれほどまでの大企業になるとは思っても見なかったのだろう。

トラブル対応に必要なモノは

トラブル対応はトレーニングが難しい。まだまだサイエンスというよりアートの領域に近い。昔ながらのカンと経験と度胸の世界が幅をきかせている。

だがいくらKKDといえども、ログを調査し、事象を観察して仮説を立てて、仮説を確認するという科学的な手法は絶対に必要となる。科学の良い点は自身に誤り訂正の仕組みを持っていることである。仮説が誤っていたのなら訂正すれば良い。だが仮説を立てずに対応してはただのいきあたりばったりである。後から自身の行動の正当性を説明できない。「とりあえずやってみました」ではすまされない場合もあるのだ。

インタネットは何処から来たのか?何処へ行くのか?

人はいずれ死ぬから色々頑張ってみても仕方ない。

それだと面白くない。

おもしろき こともなき世おもしろく. すみなしものは 心なりけり

と高杉晋作は辞世の句で読んだ。面白くもないこの世を面白くするのは自分の心である という意味だ。

インターネットのおかげでこの世は面白くなった。

アメリカの研究者達に感謝!