結局、社会から相手にされないのか?

訓練所を卒業した年も就職氷河期の真っ只中であり、訓練所への求人は殆ど無かった。

隣の市のハローワークで求人票を探すが、求人自体が今では考えられない程少なかった。
制御系の仕事はほとんど無い。

一番希望に近いのがZ80で制御しているパチンコ盤の会社だったが、「経験が無い。」との事で門前払い。
それでも、毎日求人票と就職情報誌を眺め、派遣会社だろうが、リレー回路の仕事だろうが、コンピュータ関係なら何でも応募した。

だた面接では決まって「知識と経験が無い。」と一蹴された。

面接かえる
面接では毎回不愉快なたくさん思いをした。学歴の無さを嘲笑され、いかに自分の会社の社員の学歴が高いかを自慢されたり、面接会場をタライ回しされたり、時間通りに行ったのに、2時間も待たされたり。採用・不採用の結果を連絡してこないところもあった。

悔しかったのは、殆ど技術的な会話も為されないまま面接が終わり「知識と経験が無い」と烙印を押される事だった。

父親が知り合いの「ねじ工場」へ行かないか?と勧めたくれた。
コネでやっと入れてもらえるのが「ねじ工場」では格好がつかない。

僕はコンピュータを理解した

夕暮れ時、一人で今日の実習を思い出していた。

-C言語とアセンブラでロボットアームを制御(同じ制御を異なる言語で行う)
-状態遷移図から論理回路を設計してソフトでシミュレーション
-チャタリングの除去をハードとソフトのそれぞれで実装を考える

さとりかえる一日の実習が頭の中で交じり合い、「コンピュータが理解できた!」と思った。

フリップフロップからメモリへ。
C言語からアセンブラへ、そしてマシン語。最後に5Vか0Vかの電気信号。
状態遷移図と真理値表から論理回路へ。
ハードとソフトの境界は曖昧であり、どちらでも処理を実装できる事。
コンピュータは「1+1=2」を計算している訳ではなく、人間に計算しているように見えるよう作られている事。

コンピュータがブラックボックスでなくなった瞬間。
それは日直の日誌を書いていた時の事だった。

初めてパソコンを買った

授業が終わった16時くらいから21時くらいまで飲食店でバイトした。

稼いだお金で生まれて初めてパソコンを買った。
NECのVALUESTAR NX というDOS/Vパソコン。価格は約17万。今までで一番高い買い物。
OSはWindows95だった。

NECパソコン

最初はインターネットへの接続環境も無かったので、フリーソフトが収められた雑誌を買ってきて片っ端からインストールして試した。

Windows以外のOSもインストールして遊んだ。
-Turbo Linux
-Vine Linux
-RedHat Linux
-Plamo Linux
-Free BSD
-BeOS
-超漢字

HDやメモリを拡張し周辺機器を接続して、とにかく使い倒した。
買う前の悩みが嘘のようにパソコンに熱中した。

夜パソコンをいじる

そうしてフリーソフトの雑誌を探している時に本屋で「Oh!X」(1998年の復刊第1号)という雑誌に出会った。
主にプログラミングについての雑誌で、マニアックで孤高な雰囲気が好きになり隅から隅まで読んだ。

Visual C++やHTML、JavaScriptなども「Oh!X」を読みながら色々学んで試した。
特にWebサーバの仕組みと翻訳プログラムを解説した記事は何度も何度も読み返した。

Webサーバの仕組みは後に仕事で役に立ったし、翻訳プログラムから言語に必須な字句解析を学んだ。

「Oh!X」によってコンピュータの世界がとても広大で奥深い事を教えてもらった。

OhX

 

こんにちは、世界

C言語で文字を画面に表示させることを習った。
教科書で指示されたように表示させた。

「Hello,world.」

C言語とはコンピュータをコントロールする言葉の1つ。
構文は英語に似ている。

下記のような文章(プログラム)をコンピュータ上で書き、コンパイラという翻訳ソフトを使ってコンピュータの話すマシン語に翻訳する。
#include <stdio.h>

main()
{
printf(“Hello,world”);
}

翻訳の結果できたマシン語によって、コンピュータがコントロールされ画面に文字が表示される。

日本語で「こんにちは、世界。」
「Hello,world.」がどんな意味かは教科書に書かれていなかったが、C言語でコントロールされたコンピュータが初めて「世界」に対して喋った言葉だと理解した。

Helloかえる

「こんにちは、世界。」
素敵な言葉だ。
コンピュータを一遍で好きになった。

天才は存在する

C言語の授業で、「クイックソート」という数字の並べ替え方法を学んだ。
「再帰」を使ったアルゴリズムで、とても衝撃を受けた。
わずか、わずか数10行のプログラムにも関わらず、実際の動きを紙に書き取っていくとページがいくらあっても足りない。
つまり、数10行で膨大な指示をコンピュータに与えた事になる。

このアルゴリズムを考えた人間が存在することに感動した。「天才は存在する!」

「クイックソート」からそれが肌身で感じられた。

 
天才

コンピュータサイエンスの帝王学

「論理回路」とは大袈裟な名前だと思った。
この場合の論理とは、高校で習ったブール代数のことだった。

AND(論理積)とOR(論理和)とNOT(否定)という論理演算をパズルのように組み合わせればどのような入出力も作り出すことができた。
実習はTTLという論理回路を使って様々な入出力表を実装した。

ブレッドボードというボードにTTL回路を差込み、ケーブルでつないでLEDを指定された通り光らせたりした。
ブレッドボードには最初から無数の穴が穿ってあり、いちいち半田付けする必要はなく、簡単に回路を作ったり壊したりできた。
レゴブロックの要領だ。

この実習は大変面白く、与えられた課題を次から次へこなしていった。TTLかえる

Z80というマイコンのアセンブラ言語を学んだ。

アセンブラはマシン語にとても近い言語。
だから、コンピュータがどう動くかの原理が理解できる。

実習ではプログラムを作成する前にフローチャートを書くことが義務付けられていた。
ただ、フローチャートを書くのは面倒くさいので、プログラムを作りながら試行錯誤した方が早いと思っていた。
実際ほとんどのフローチャートはプログラムを書いた後で書いた。

でも時々テンプレートを手早く使い、長いフローチャートを書くのは楽しかった。テンプレかえる
今考えるとハードとソフトの極めて重要な基礎を教えてもらっていた。

ポケットコンピュータに助けられた

プログラムは動かさないと理解が難しい。
これはコンピュータ全般に言える。
理論や理屈で構築された世界だから、動作しているものを見ないと腹に落ちない。
プログラムを自分で動かすと、感覚的に理解でき、後で理論の理解が追いつく。

パソコンは持っていない。
けど、家でもプログラムを打ち込んで勉強したい。

弟が工業高校で使っていたポケコンを思い出し、部屋を漁って借りた。
ポケコンはシャープの「ポケットコンピュータ」という主に工業高校の教材で使われるコンピュータ。
見た目は大きな関数電卓。
Z80アセンブラはともかく、C言語が使えることが分かって大喜びした。
ポケコン

僕は正しい事をしている

家に帰ると何時間も勉強した。
C言語やアセンブラや論理回路の勉強は楽しかった。

勉強することで、実家に帰った時に感じた後ろめたさと惨めさが和らいだ。

夜勉強かえる
「僕は正しい事をしている。」
そう思いたかった。

これは学校の机だ

職業訓練所は高校と刑務所を足したような所。
体育館があり、教室があり、グラウンドがあり
朝のラジオ体操があり、掃除の時間があった。

自動車整備科/造園科/マイコン制御科のクラスがある。
自動車科の連中は走り屋上がりの若者が多い。
造園科は定年退職して、失業手当を貰って造園を習う羨ましい方達。
我々マイコン制御科は10人しかおらず、年齢もバラバラ。

校内や教室は古さも手伝って高校そのものに見えた。
教室の机は懐かしの「学校の机」。鉄パイプのフレームに木の天板のアレ。

机かえる

夕焼けの放課後に机に座って当番日誌(日直制度があった!)を書いていると中学時代にタイムスリップしたような感覚になる。

 

夕焼けかえる

高校卒業~大学中退までの出来事は本当にあった事なのだろうか?
そんな気がした。

 

社会から相手にされない

子供の頃、将来の職業が決められなかった。
ただ、どんな職業であれ、社会に役立つ人間になりたいと想った。
それをコンビニの帰り道に思い出した。

夜道をかえる小
そもそも社会から相手にされない自分は、子供の頃の理想と正反対の・・・端的に言えばただのゴミって事に気付いた。