こんにちは、世界

C言語で文字を画面に表示させることを習った。
教科書で指示されたように表示させた。

「Hello,world.」

C言語とはコンピュータをコントロールする言葉の1つ。
構文は英語に似ている。

下記のような文章(プログラム)をコンピュータ上で書き、コンパイラという翻訳ソフトを使ってコンピュータの話すマシン語に翻訳する。
#include <stdio.h>

main()
{
printf(“Hello,world”);
}

翻訳の結果できたマシン語によって、コンピュータがコントロールされ画面に文字が表示される。

日本語で「こんにちは、世界。」
「Hello,world.」がどんな意味かは教科書に書かれていなかったが、C言語でコントロールされたコンピュータが初めて「世界」に対して喋った言葉だと理解した。

Helloかえる

「こんにちは、世界。」
素敵な言葉だ。
コンピュータを一遍で好きになった。

天才は存在する

C言語の授業で、「クイックソート」という数字の並べ替え方法を学んだ。
「再帰」を使ったアルゴリズムで、とても衝撃を受けた。
わずか、わずか数10行のプログラムにも関わらず、実際の動きを紙に書き取っていくとページがいくらあっても足りない。
つまり、数10行で膨大な指示をコンピュータに与えた事になる。

このアルゴリズムを考えた人間が存在することに感動した。「天才は存在する!」

「クイックソート」からそれが肌身で感じられた。

 
天才

コンピュータサイエンスの帝王学

「論理回路」とは大袈裟な名前だと思った。
この場合の論理とは、高校で習ったブール代数のことだった。

AND(論理積)とOR(論理和)とNOT(否定)という論理演算をパズルのように組み合わせればどのような入出力も作り出すことができた。
実習はTTLという論理回路を使って様々な入出力表を実装した。

ブレッドボードというボードにTTL回路を差込み、ケーブルでつないでLEDを指定された通り光らせたりした。
ブレッドボードには最初から無数の穴が穿ってあり、いちいち半田付けする必要はなく、簡単に回路を作ったり壊したりできた。
レゴブロックの要領だ。

この実習は大変面白く、与えられた課題を次から次へこなしていった。TTLかえる

Z80というマイコンのアセンブラ言語を学んだ。

アセンブラはマシン語にとても近い言語。
だから、コンピュータがどう動くかの原理が理解できる。

実習ではプログラムを作成する前にフローチャートを書くことが義務付けられていた。
ただ、フローチャートを書くのは面倒くさいので、プログラムを作りながら試行錯誤した方が早いと思っていた。
実際ほとんどのフローチャートはプログラムを書いた後で書いた。

でも時々テンプレートを手早く使い、長いフローチャートを書くのは楽しかった。テンプレかえる
今考えるとハードとソフトの極めて重要な基礎を教えてもらっていた。

ポケットコンピュータに助けられた

プログラムは動かさないと理解が難しい。
これはコンピュータ全般に言える。
理論や理屈で構築された世界だから、動作しているものを見ないと腹に落ちない。
プログラムを自分で動かすと、感覚的に理解でき、後で理論の理解が追いつく。

パソコンは持っていない。
けど、家でもプログラムを打ち込んで勉強したい。

弟が工業高校で使っていたポケコンを思い出し、部屋を漁って借りた。
ポケコンはシャープの「ポケットコンピュータ」という主に工業高校の教材で使われるコンピュータ。
見た目は大きな関数電卓。
Z80アセンブラはともかく、C言語が使えることが分かって大喜びした。
ポケコン

僕は正しい事をしている

家に帰ると何時間も勉強した。
C言語やアセンブラや論理回路の勉強は楽しかった。

勉強することで、実家に帰った時に感じた後ろめたさと惨めさが和らいだ。

夜勉強かえる
「僕は正しい事をしている。」
そう思いたかった。

これは学校の机だ

職業訓練所は高校と刑務所を足したような所。
体育館があり、教室があり、グラウンドがあり
朝のラジオ体操があり、掃除の時間があった。

自動車整備科/造園科/マイコン制御科のクラスがある。
自動車科の連中は走り屋上がりの若者が多い。
造園科は定年退職して、失業手当を貰って造園を習う羨ましい方達。
我々マイコン制御科は10人しかおらず、年齢もバラバラ。

校内や教室は古さも手伝って高校そのものに見えた。
教室の机は懐かしの「学校の机」。鉄パイプのフレームに木の天板のアレ。

机かえる

夕焼けの放課後に机に座って当番日誌(日直制度があった!)を書いていると中学時代にタイムスリップしたような感覚になる。

 

夕焼けかえる

高校卒業~大学中退までの出来事は本当にあった事なのだろうか?
そんな気がした。

 

社会から相手にされない

子供の頃、将来の職業が決められなかった。
ただ、どんな職業であれ、社会に役立つ人間になりたいと想った。
それをコンビニの帰り道に思い出した。

夜道をかえる小
そもそも社会から相手にされない自分は、子供の頃の理想と正反対の・・・端的に言えばただのゴミって事に気付いた。

どこも雇ってくれない

大学を勝手にやめた事が親にばれた。
「下宿を引き払って実家に帰れ!」

実家は地図上では「高原」に分類される所。

「仕送りはいらない。後1年で自立する目処つけるから、実家に帰るのは嫌だ。」と甘ったれた事を言って猶予を得た。

怒られかえる

就職氷河期の真っ只中で活動開始。
大学の入学式で着たきりだったスーツを着て「大学中退、職歴無し、特技無し」の履歴書を片手に色んな会社へ飛び込んだ。

多くの会社に落ちて、ここは雇ってくれるだろうという期待のあった
訪問販売の会社に落ちた時、心が折れた。
というより心が曲がった。

会話して分かったでしょ?僕って変わってて個性的でしょ?
なぜ僕の有能さを見抜けない?
やらせてくれたら何だってうまくできるのに!

履歴書かえる

自分を認めない社会にいら立った。

 

僕の存在は家の恥だった

両親と、トラックで実家へ帰った。
実家への帰路は全員無言だった。

両親は手早く僕の荷物を実家に運び込んだ。
そして、あまり出歩かないでくれと言われた。

僕が大学を中退して実家に帰ってきた事を近所に知られるのが嫌だったからだ。
実家へかえる

僕の存在は家の恥だった。

 

SE前夜

中学時代は勉強ばかりやっていた。おかげで成績は抜群に良く、ある私立高校から学費免除の特待生入学の誘いがあった程だった。

その高校はダサイので誘いは断り、公立の高校に入った。
中学の時にやりすぎて勉強が嫌になったので、まったく勉強しなくなった。
それ以外は人並みな高校時代を送った。

大学は三流私立へ潜り込んだ。
楽しい大学生活が待っているはずだった。

しかし何故か毎日、下宿の布団の中にいた。

「引きこもり」という言葉は無かったので、自分の事を不思議に思ってた。
何でサークルやコンパやゼミといった普通の大学生活が送れないのだ?

布団かえる

布団の中でタバコを吸いながら本を読み、レンタルビデオを見ながら飯を食った。

一生このままでも幸せかもと時々考えた。