やらずに後悔するならやって後悔した方が良い

なんでもやってみればいい。
やらずに後悔するならやって後悔した方が良い。

人のやらない事をやって他の人が山を上る時に反対側から登ろう。

そして他人の批判は気にしないようにしよう。
だって君は他人の顔色を覗うために生きているわけじゃない。

2010-09-10 わたしは自分に寄せられた批判を気にしない。

ましてやいいわけや取り繕いをするくらいなら、政治家を辞めた方がましだ。

私は私の信じる最善を最後までやり抜く。

結果が良ければ私への批判はやはり無視に値したのだ。

結果が良くなければ神様が私を弁護してくれたとしても何の役にも立ちはしない。(リンカーン)

 

初めて家に来た日のこと

毛布に何重にもくるんで慎重に布団の上に置いた。
翌朝起きると君がまだ布団の上にいた。
これから何十年も一緒にいるんだと思うと不思議な気がした。

保健所から一ヶ月目に保健師さんが来てくれて色々アドバイスしてくれた。
そのアドバイスが本当に救われた気になった。
お風呂でごしごし顔を洗って良いこと。
すぐ隣で寝てもよいこと。
今では笑ってしまうけど、顔をごしごし洗うのさえおっかなびっくりだった。
まして隣で寝てつぶしてしまわないか本気で心配して避けていたくらいだった。
初めて笑った時。
本当に嬉しかった。
2010-09-14-01

自分で考えて行動するのは楽しい

最後に頼りになるのは自分自身だけだ。
君の幸せを本当に願う父や母は君より先に死んでしまう。

頭を目一杯使って自分で決めて自分で行動して欲しい。
芸能人のビートたけしは若いときに芸人になると決めて浅草駅に降り立った。
その時 空が自分のものに見えたという。

2010-08-11-00-L
パパは昔、一人でよくキャンプに出かけた。
友達も恋人もお金も無かったけど、一人でキャンプに出かけると色んな事にドキドキした。
この道で正しいのか?ここでテントを張って大丈夫か?
何か物音がしたけど、野犬でもいるのか?
一人で不安でドキドキした分だけ美しい風景の感動も全部自分だけのものだった。

大学を中退した時。
初めて就職した時。
初めて女性に告白した時。
転職した時。
そんな時すごく楽しかった。
なにしろ自分で考えて決めたんだから。
自分で決めて行動するってのはとてもとても楽しい。

自分で決めることが怖いような重要なことでも「これは楽しい事なんだ」って自分を騙してみて。

トッパライの仕事

普通の会社ではあり得ないことだが、カッパが会社には内緒で某所から直接仕事を受注した。
カッパの子分である僕はFlashでゲームを作成した。
このおかげで少々小銭を稼がせて頂いた。カッパに感謝した。

内緒で仕事を受注するカッパの営業力と度胸には感心させられた。

実は上には上がいて、好青年は官公庁に近しい仕事を個人的に受注していた。
こちらもお手伝いさせてもらって、好青年のお古のMachintoshを頂いた

2009-11-26-004

社長と面接

「カッパ」の働き掛けで正社員として入社できることになった。
そこで一応社長の面接を受けることになった。
社長は我々の部署から車で1時間くらい離れた本社にいた。

社長は若く長身でハンサムだった。
話を要約すると「インターネット黎明期のどさくさに紛れて一緒にのし上がろう」というものだった。
僕自身が社会からドロップアウトした人間であり、この頃大前研一をさかんに読んでいたので、社長の考え方には大変感銘を受けた。というよりこのような人間の登場を心の中で待ちわびていた。

ただ私にとっては余りに理想的な社長像なので僕は逆に警戒心を持ってしまい、面接中はずっと睨んでいた。
それでも社長は「良い人材が入社してくれた。」と言ってくれた。すごく嬉しかった。

後に会社を辞めた時に社長から労いのメールを頂いた。さらに後「好青年」の結婚式でお会いした際には「何時でもまた来い」とまで言って頂いた。
本当に魅力的な人物であり、器が大きかった。

社長が取引先の方と別れ際に90度以上の角度でお辞儀して長い間そのままの姿勢でいたことが頭に強く残っている。以後私も真似するようになった。
2009-11-26-001

自分の居場所を作る

皆それぞれに分担があった。
「カッパ」はYAMAHAルータの設定。「死にかけ」はサーバの組み立てと雑用。「坊ちゃん」はPerlプログラミング。
「好青年」はサーバの設定・Ciscoルータの設定・会員管理システムの構築と中枢の殆どを担当していた。

僕も何かで自分の居場所を作る必要があった。

 

パソコンが無くてもインターネットができるようにセットトップボックスを無料で配るという話が持ち上がった。
セットトップボックスとはテレビに接続するビデオデッキのようもので、電話線をつないでテレビでインターネットをすることができる。
そのセットトップボックスに小綺麗なメニュー画面が必要となった。
「絵は描けるか?」とカッパが聞いたのでチャンスとばかりに頷いた。
それから家でも会社でも必死でメニュー画面を作った。コンピュータを使って絵を描いた経験は無かったのでPhotoshop、Fireworks、Shadeなんかのソフトを1から勉強しながら描いた。
カッパ達は僕の描く絵に感心してくれたのでホッとした。

この時に「グラフィックソフトは絵が描ける人の能力を助けてくれるに過ぎない」という事を思い知った。絵が描けなくとも、優秀なソフトを使えば、魔法のようにスゴイ絵が生み出される訳じゃ無い。所詮身の丈にあった絵が描けるだけ。絵を描く人間の頭にイメージが明確に無ければソフトはそれを助けようが無い。
色々なソフトを試した結果、プリンタのおまけで付いてきたドローソフトで描いた絵が結局一番良かった。
社長にも気に入って貰えてメニュー画面に採用された。

結局セットトップボックスは配られなかったが(世の中でもインターネット用のセットトップボックスは一時のあだ花として忘れられていった。知る人は少ない。)

2009-11-26-003

僕とは別のアルバイトがC言語で作成したVoIPの課金プログラムがあった。
そのアルバイトはあまり会社に顔を出さないので「カッパ」はプログラムのメンテに難儀していた。
「C言語できるか?」
僕は訓練所で1年間C言語を学んだばかりだったので多少自信があった。
「カッパ」の求めるメンテを行った。
C言語ができることは「カッパ」には好評だった。「カッパ」はPerlなどのスクリプト言語よりC言語こそが本当のプログラム言語だと考えている節があった。
絵とC言語で僕のことを役に立つと思った「カッパ」は試用期間の三ヶ月を待たずに正社員になれるよう会社側に働き掛けてくれた。

有り難かった。
給料が上がるから有り難かったのではない。実際金額はアルバイトと大差無い。
僕のことを役に立つ人間だと思って貰えたことが有り難かった。
大学を中退して社会から相手にしてもらえなかった自分が他人の役に立てることが有り難かった。

自分の居場所を作る

 

仕事をくれ認めてくれたカッパには今でも感謝している。

アクセスサーバとは何だ?

アクセスサーバ(Remote Access Server(リモートアクセスサーバ)の略でRASとも呼ばれる。Network Access Server:NASと呼ぶ場合もあったが、現在ではNASといえばNetwork Attached Storageを指す。)は一言で言えば、ダイヤルアップでインターネットした時代に存在したTAとモデムを大量に内臓した通信機器。
ユーザがモデムやTAで電話回線を使ってダイヤルアップ接続を行うとアクセスサーバが接続を受けてユーザにIPアドレスやDNSなどの情報を渡してインターネットへの接続を提供することになる。
当時のプロバイダのアクセスポイントにはアクセスサーバが設置され、大量の電話回線が引き込まれていた。

接続図

(図ではインターネットへの接続が省略化して書かれている。実際は各APからそれぞれのISP(インターネットサービスプロバイダ)のNOC(ネットワークオペレーションセンター)という中央基地のような場所に接続を集めておいて、上位のプロバイダ(ほとんどはNTT/KDD/日本テレコムのようなキャリア)へ接続している。)

最初の仕事は大変出来の悪いアクセスサーバの監視作業だった。
監視といってもかなり乱暴な方法だった。
TELNETでアクセスサーバにログインして、ハングアップしていたらリブートするだけだ。
リブート

(図ではインターネットへの接続が省略化して書かれている。実際は各APからそれぞれのISP(インターネットサービスプロバイダ)のNOC(ネットワークオペレーションセンター)という中央基地のような場所に接続を集めておいて、上位のプロバイダ(ほとんどはNTT/KDD/日本テレコムのようなキャリア)へ接続している。)

最初の仕事は大変出来の悪いアクセスサーバの監視作業だった。
監視といってもかなり乱暴な方法だった。
TELNETでアクセスサーバにログインして、ハングアップしていたらリブートするだけだ。
その後アクセスサーバは様々な機種を扱った。

アクセスサーバ色々

MAX
米アセンドコミュニケーションズ(後に米ルーセント・テクノロジーに買収される)社製。

MAX

見た目はラックマウントタイプ(コンピュータは殆どの場合、ラックというロッカーのような金属製の箱にネジで固定する。このラックに固定できるコンピュータをラックマウントタイプと呼ぶ。)の黒いサーバに見える。
ただしサーバ(何かのサービスを提供してくれるコンピュータ。レーサーやディーラーのように「サービス」の「er」系。でサーバー。特にコンピュータの種類を特定する言葉ではないのでノートパソコンでも何かのサービスを他社に提供していたらそれはサーバとなる。この場合のサービスとはコンピュータ上のサービスのことを指す)とは異なりCDやフロッピーは無く、キーボード・マウスを接続するポートも無い。
パソコンからシリアルケーブルで接続してキャラクターユーザインターフェース(略称CUI。文字ばかりの画面。マウスが使えない。WindowsなどはGUI:グラフィックユーザインターフェースである)のコンソール(シリアル接続したCUI画面のこと)を使って初期設定を行う。
APに設置した後はTelnetで接続して接続状況などを確認する。
コンソール画面はキャラクターベースだがメニューを使用した疑似ウィンドウ方式でコマンドを覚える必要がなかった。
扱ったアクセスサーバの中で一番信頼性が高かった。
MAXコンソール

3Com Total Control
見た目が現在のブレードサーバにそっくりの米USロボティクス(後に米3COMに買収される。社名がSF)社製アクセスサーバ。
CPUカード・通信カード等を用途や回線数に応じてシャーシに差していく。考え方もブレードサーバそのもの。
CPUカードにLEDで任意のメッセージを表示することができた。
「死にかけ」のイタズラで「Error!」と表示されるよう設定されたTotalControlを、出張先で設置した際は何故エラーなのか分らずパニックになった。

トータルコントロール

SuperStackII

米3COM社製。(様々な企業を買収したアメリカのネットワーク機器メーカ。後に凋落の一途を辿る。DSLや光ファイバの登場によりモデムやアクセスサーバ市場は縮小し、ルータやスイッチではシスコに勝てず、日用品となったネットワークカードでもシェアを失っていくことになる。)
見た目はL2スイッチ(賢いHUBのこと。HUBはニュースでよく聞くハブ空港のハブ。もしくは自転車のハブ。何かの中心。コンピュータのハブはコンピュータからLANケーブルを引っ張ってきて接続する。ハブに接続すれば他のコンピュータとも接続できるようになる。見た目は小さなお弁当箱)。
見た目がそっくり同じなHubやスイッチ、ルータ、電源モジュールがシリーズ化されていた。
名前の通り筺体を重ねる(スタック)することで接続数や必要な機能を増やすことができた。
重ねた筐体同士を接続するケーブルに当時最新のFireWire(シリアル通信の規格のこと。今で言うIEEE1394。後にも先にもIEEE1394をスタックケーブルに使用するネットワーク機器はこの機械以外見たことが無い)を使用していた。

SS2
このSniffer機能に助けられたことがあった。
当時は回線が今では考えられないくらい狭く(僕の入ったプロバイダは当時でもひどい通信環境だった)。
ひどい場合は1つのアクセスポイントで500kbpsの通信回線を20~30人くらいで分け合っている状態だった。そんな時に回線を長時間独占しているユーザがいて困ったことがあった。1人あたりの回線使用量を取り決めているわけではないので、回線を独占していても文句は言えない。ただ何故回線を独占しているのか理由が分からない。WEBの閲覧やメールのやりとりは使っている本人はずっとインターネットに接続しているつもりでも回線的には一時的な使用にすぎず殆どの時間は回線は空いている。長時間回線を独占するにはFTPくらいしかない(当時はストリーミングは無かった)
そこでSuperStackⅡのSniffer機能で通信内容を分析すると違法なMP3ファイルをFTPでやりとりしていた。
やんわりそれを指摘するメールを出して回線の独占をやめてもらうことができた。

初めての職場

出社するとおっさんに仕事場に案内された。面接を行った場所の奥の扉を入った部屋だ。
中はパソコン・通信機器でごちゃごちゃしていた。
小さな窓があるだけで、部屋の中は暗かった。
後で分かったがコンピュータを多数設置しているので冷房が入っていて涼しかった。

例のスーツの好青年は不在で、3人の輩がいた。
坊ちゃん顔・顔色の悪い長身・カッパのような髪型の中背。
「カッパ」がボスだ。
口調から「坊ちゃん」よりも「長身」の方が先輩らしい。
灰色の部屋

僕の席は「長身」の隣になった。(といってもアルバイト用の共有席であり僕専用の席ではない。)
「長身」から初仕事を与えられた。
通信機器の状態を見て回る仕事。
肝心の通信機器は何かは分からなかったが言われた手順で始めて、20~30台の機器の画面を眺め始めた。
画面は文字ばかりだったが「hostname」が今眺めている通信機器の名前であることは分かった。

それぞれの通信機器の名前が主要都市名だったので、全国各地に設置してあることが分かった。(Tokyoと名付けた機器を大阪に設置している可能性もあったが・・・。地名をホスト名の一部にする例は割と多い。東京はtky。大阪はosk。名古屋はngy。メールのヘッダ等を眺めると地名を付けたサーバを目にすることが時々ある)
どうやら遠隔地の通信機器に接続しているらしい。
「長身」に今見回っている機械は何かと聞いた。
「アクセスサーバだよ。インターネットはしたことある?」
「無いです。」
「よく入社できたね。まぁいいや。アクセスサーバはアクセスポイント(略称 AP)に置いてあってインターネットをする時にお客さんが電話回線で接続する機械だよ。」
さらに説明を聞くと、どうも電話回線が大量に接続されているモデムの親玉のような機械のことらしい。
「実物はこれだよ。」彼が床に転がっている黒いビデオデッキのようなモノを指した。
黒いビデオデッキの裏を見せてくれた。
「ここに電話線を差すんだ。こっちはLANケーブルを差す。こっちの電話線からお客さんがモデムで接続してきて、こっちのLANケーブルからインターネットに抜けていくんだよ。」
「インターネットというと?」
「うちはJT(業界では日本テレコム(現在のソフトバンクテレコム)をJTと呼ぶ。当然初めて聞くと日本たばこのことだと思う)の下流だからJTに接続することがイコールインターネットへの接続だよ。」
「JT?日本たばこのことですか?」
「ははは。テレコム。日本テレコムのことだよ。」
日本テレコム?よく知らないがNTTとは別の電話会社であるらしいことはCMで知っていた。どうやったらNTTでない電話会社を使って電話するのかは知らない。
どうやらNTTの電話回線から黒ビデオデッキを経由して他の電話会社へ接続させてあげるのがプロバイダというものらしい。
「この機械はどうやって設定するんですか?ボタンなんかが見あたりませんが?」僕は色々疑問があったがまずは目の前の黒いビデオデッキが気になった。この機械には電話線やLANケーブルを接続する穴以外にLEDが2・3あるだけで他には何も無い
「ああ、これはシリアルケーブルをパソコンにつなげて設定するんだよ。君がさっき見てた画面で設定するんだよ。さっきはTELNETでこの機械に接続していたんだ。」
「Oh!X」で「TELNET」とは遠隔地のコンピュータに接続するプロトコル(プロトコルとは通信手順のこと。)であると読んで知っていた。
「とすると、この機械はコンピュータですか?」
「君の言うコンピュータの定義が何か知らんけど。CPU・メモリが搭載されているよ。HDD(ハードディスクのこと。)はないけど。」

黒いビデオデッキは「アクセスサーバ」という一般名詞であると後で知った。もっと言えばアクセスサーバは特殊な機械ではなく、電話線を接続してアクセスサーバ用のソフトを動かせば普通のパソコンでも「アクセスサーバ」となる。企業等ではWindowsパソコンでアクセスサーバを構築している。後で出てくるルータもアクセスサーバも先人はパソコンで構築していた。インターネットの発展とともに余計な機能はそぎ落とし(大量のデータが必要なハードディスクはまず不要となる。第一ハードディスクは物理的に回転するディスクに情報を読み書きするので故障が多いので搭載したくない部品No1。)、必要な機能を拡充して専用機として作って売る企業が出てきた。専用機なんだから余計な機能は無い。設定の為にはシリアル接続(シリアルケーブルで接続する。シリアルケーブルはディスプレイとパソコンを接続する際に使用するケーブルに似ている。)する。その後の管理はTELNETでネットワーク経由で行うことになる。つまりディスプレイやキーボードは直接接続できない。

事前に「長身」から教えられた画面状態の機器があったので声を掛けた。
その表示があったら教えろと言われていたのだ。
「この表示ですかね?」
「あぁ。それ。この部分の*の表示が変わらないでしょ。リブートするわ。一端抜けて。」
何やらコマンドを打ち込んだ。
「通信カードが固まっている場合があるんだ。」
「その場合はリブートですか?」
「そう。リブート。今したよ。」

見回りを終えると、これといって仕事はない。
「カッパ」も好青年が気まぐれで入社させたような僕の扱いに困っているようでもあった。

「坊ちゃん」が通信機器の見回りに使った「TeraTerm」というソフトのマクロを教えてくれた。
「こうすると自動で見回りができるよ。」
この場合の「マクロ」というのは、「TeraTerm」に自動実行させるための台本のようなものだ。
IP一覧を読み込んで自動で通信機器に接続して「マクロ」だった。
「坊ちゃん」はプログラミングが大好きらしい。一日中Perl(スクリプト言語。インターネットと相性が良い。CGI等に使用される。なぜか当時「カッパ」はPerlを馬鹿にしている節があった。)でなにやらプログラムをしている。

僕の一日目はなんだか分からないまま終わった。

ほこりが舞う面接

小柄な青年は礼儀正しく、品があった。
面接が楽しかった。こんな事は初めてだ。

ほこり舞う
彼の話によると・・・
仕事の内容はスクリプトを書いたり、通信機器を設定・設置したり、サーバの面倒を見る事だという。
サーバの面倒を見る というのがよく分からなかったが、バグなどでプログラムが停止することがある。そんな時に回復させる事らしい。プログラムを修正することもある。

インターネットをやった事が無かったので、面接の会話から下記が学べた。
JavaとJavaScriptはまったく違う言語であること。
GNUは「グニュー」と発音する事。
LinuxというフリーOSがある事。

彼との面接が終わり、事務机にいた40代のおっさんが彼に尋ねた。
「どう?鶴ちゃん?」
「そうですね。経験は不足していますが、ぜひ欲しいですね。」
彼は静かに言った。
「とりあえず最初はバイトだけど。明日から来れる?」
おっさんも静かに言った。
「はい!お願いします。」
僕は即答した。

僕の就職活動は胡散臭い会社のアルバイトで幕を閉じた。
バイトだろうが、何だろうが構わなかった。わくわくする仕事だと直感した。
なにより彼は僕に敬意を以て接してくれた。
それがとても嬉しかった。

インターネットプロバイダの仕事がどんなものか想像もできない。

コンピュータに関わる仕事なので、取りあえずC言語を復習。
他の人はプログラムができて当然だろうから、恥をかかないようにしたかった。

訓練所で使っていたC言語の教科書に載っていたラインエディタのソースを打ち込みながらソースに注釈を付けていった。
メイン関数がループ状態で待機して、入力を待つ。入力が発生するとサブ関数が呼ばれ処理を行い、メイン関数に戻る。
理解はできるが、自分でイチから作れるとは思えなかった。

明日の朝には初出社だ。
自分はどう考えてもあまり賢い方ではない。
コンピュータを職業することに不安になった。

本当にやっていけるんだろうか?

Cを復習

ハローワーク

他にやることも無いので、ハローワークへ行って求人票を眺めた。
そこで少々変った求人を見た。
求人条件自体は、C/JAVA等のプログラムができる というなもの。90年代後半の地方の事だから、JAVAいう単語が珍しかった。
さらに事業内容が変わっていた。「インターネットプロバイダのフランチャイズ展開と焼却炉の製造・販売」
関連が無さすぎるというか、胡散臭いというか。
当時、焼却炉は地方のホームセンターでは売れ線の商品。
インターネットと焼却炉、どちらも金になりそうな雰囲気がある。経営者は先見の明があると思った。
インターネットプロバイダを一目見てみたいと考え面接を申し込んだ。
台所
訪ねて行くと、会社の外観は倉庫に見えた。
応対してくれたのは、40歳くらいの普通のおっさんだった。
中に入って倉庫の一角の休憩所のようなところに古いダイニングテーブルがあり、そこで掛けて待つよう言われた。
おっさんは奥の扉を開けてなにやらごそごそ奥で誰かと喋った後戻ってきた。
おっさんは、近くの事務机に座って新聞を読み始めた。

周りを観察すると、冷蔵庫・給湯器・湯のみ。やけに生活感があるが、人の気配がない。タイムレコーダがあるので、ここが職場には違いない。
おっさんの事務机の下に埃だらけのパソコンがあった。あれ一台でインターネットのプロバイダというのは商売できるんだろうか?まさか?

冷蔵庫の上にパンフレットがある。確かにインターネットプロバイダのパンフレットだ。

しばらく待つと、奥の扉から場違いな程ビシッとしたスーツを着た小柄な青年が登場した

鶴ちゃん